24時間テレビランナー、はるな愛さんの涙は一色?

 2010年8月末に放送された日本テレビ系列『24時間テレビ』のチャリティーマラソン。今年のランナー、はるな愛さんのスタート時に印象的な場面が放送された。
 弟と一緒に応援に出てきた父親が、背中に大きく「賢示」と書かれた野球のユニフォームを持参し「これを着て走って」と彼女に渡したのだ。さらに司会者から「今日の愛さんを見ていかがですか?」と問われ「いい男になった」と語った。しかしその時、娘は真顔で言い返した。「女やで」。いつになく真剣な眼差しだった。
 はるな愛さんはMtFトランスジェンダーの当事者である。賢示は性別越境以前の名前であり、かつて「男」だったことはバラエティ番組で突っ込まれた際に「言うよね〜」と切り返す定番ギャグとして浸透している。しかしこの日はギャグに「しなかった」のだ。
 私は5年がかりで『しみじみと歩いてる』というドキュメンタリー映画を制作し、この秋から公開する。当初は自分と同じ同性愛者を取材したが、五十代のMtFトランスジェンダー綾さんとの出会いで創作上の転機を得た。自分には「どうしても共有できない感覚」があることに気付いたのだ。
 彼女は数年前まで男性としての結婚生活をしていたが、家族関係が破綻し精神的に不安定になり、離婚後は試行錯誤の中で女装をすると精神が安定する自分に気付いて行く。女性ホルモンを投与し身体の性別を越境させた行為を「自分の中から男を排除する感覚」だと語った。つまり「男」を排除したら結果的に「女」と言われる在り方になっていたらしい。そんな綾さんの感覚や精神の落ち着き所について私は「自分の感覚では推し量りようがない」限界に直面した。そして心と身体の性別違和が無い「シスジェンダーなのだ」と自覚した。それはかつて「同性愛者なのだ」と自覚した時とは種類が違う気付きだった。今回は、自分がマジョリティに属することを認識したからだ。
 同性愛者として生活する私は、「異性愛者であること」が前提で組み立てられている社会システムの中でマイノリティである。マジョリティは社会構造が存在を肯定してくれるが、マイノリティは自ら「肯定のための物語」を編まねばならず、様々なことに敏感になり自我意識が肥大化するので正直しんどい。それに比べてマジョリティとは、敏感さから解放された「鈍感」の中で生きられる存在なのだと知っている。だから私は綾さんの「敏感さ」を感知出来ない。なぜなら性別越境を必要としない属性という意味で圧倒的なマジョリティだからである。
 父持参のユニフォーム着用を拒否し、ピンクのミニスカートで走り始めたはるな愛さんは泣いていた。テレビ画面では「大舞台で走れた幸せを噛みしめた涙」と一色で語られていたのだが、理由は果たしてそれだけだったのか?。マジョリティの鈍感さを突き付けられ、無力感に打ちひしがれたマイノリティの涙だったかもしれないではないか。必死に排除してきた「男」を装うにと衆目の中で他ならぬ父から求められ、真顔で拒否した直後なのだから。
 私は少しでも「敏感なマジョリティ」でありたい。そして、メディアには「マイノリティの敏感さ」に敏感であって欲しいと、マイノリティ当事者として願っている。 (島田 暁・映画監督)